創業 4 分で読了

「ああ、伝わった」を日常にするために、僕は会社をつくった

元トランペット奏者で、28歳でASDと診断された代表・寺田康佑が、楽器メーカーとリクルートの営業を経て、AIの会社Cor.株式会社を立ち上げるまでの話です。言葉だけでは届かないものを、技術で届く形にしようとしている理由を書きました。

Terisuke

この記事をシェア:

宇宙人だったのは、僕のほうでした

幼稚園では、みんなのお遊戯に混ざれませんでした。外に出されると、園庭で三輪車をぐるぐる漕いでいました。

小学校の入学式では、目の前を横切った蝶を追いかけて、そのまま体育館を出ていきました。

虫眼鏡で本当に火が起こせるのか確かめたくて、昼休みのあいだ、落ち葉の山に光を当て続けたこともあります。小さなボヤになりました。

僕の中では、どれも筋が通っていました。やりたいことがあって、いちばん速い方法で近づいただけです。でも周りから見れば、何をするか分からない子供だったと思います。

4年生のころには、遊びに誘われなくなっていました。

そこで僕は、図書館で行動心理学の本を読みあさりました。目線、しぐさ、間の取り方。人が言葉にしない気持ちを、外から読み取る方法です。6年生になるころには、クラスの委員長を任されるくらいにはなりました。

ただ、ずっと疲れていました。相手の顔色を読んで、場を壊さない言葉を選ぶ。そうやって話すと、自分の思っていることは伝わらないまま、会話が終わってしまう。

もっと自然に、気持ちが伝わる方法はないのか。子供のころから、ずっとそう思っていました。

息を呑む音が聞こえた

5歳からピアノを習っていました。中学の音楽の教師だった母の影響です。ピアノは楽しかった。でもステージの上では、いつも一人でした。

小学6年のとき、地元のジュニアオーケストラの演奏会で、トランペットのファンファーレを聞きました。

これだ、と思いました。いろんな人と音で話しながら、ひとつの音楽をつくれる。言葉だけでは伝えきれない気持ちも、きっと届く。帰ってすぐ、祖父母にせがんでトランペットを買ってもらいました。

ところが、トランペットは鳴りませんでした。中学の吹奏楽部に入って4か月たっても、音が出ない。周りには笑われました。

僕は、課題曲の楽譜を2小節ずつに区切りました。5回続けて間違えずに吹けたら、次の2小節へ。最後まで行ったら、4小節ずつに区切り直して、また最初から。夏休みのあいだ、それだけを続けました。

高校2年の冬。2000人のホールが満員になったクリスマスコンサートで、ソロを吹きました。

スポットライトで、客席は何も見えません。音を出した瞬間、客席が息を呑むのが聞こえました。

言葉はいらなかった。相手の顔色を読む必要もなかった。

あの一体感をもう一度味わいたくて、僕は音楽の道に進みました。

あの瞬間は、二度と来なかった

芸術大学のトランペット科に入って、最初の冬。教授とのささいな行き違いから、僕は学科の中で、そこにいない人のように扱われるようになりました。それは何か月も続き、そのとき広まった噂は、音楽をやめるまで僕について回りました。

僕はまた、人の顔色を読みながら生きるようになりました。演奏していても、頭の中では「今どう思われているか」を計算している。表では笑って、家に帰ると倒れ込む。ベッドから起き上がれない日が続き、精神科に通いました。

28歳のとき、ASD(自閉スペクトラム症)と診断されました。

正直、ほっとしました。ずっと感じていた自分と人との違いに、やっと名前がついたからです。

卒業後は楽器メーカーで、楽器の普及の仕事を4年ほど。演奏の仕事も続けながら、留学を考えたり、学校で教えたりもしました。

それでも、高校2年の冬のあの感覚は、戻ってきませんでした。

2020年、すべてが止まった

2020年4月、緊急事態宣言で、公演がすべてなくなりました。フリーランスの奏者だった僕の収入は、ゼロになりました。

仕事は、こんなにあっさり消えるのか。このまま音楽にしがみついていても、生き残れない。

僕はリクルートに入り、求人広告の法人営業になりました。音楽の世界しか知らない自分を、いろんな人の中に放り込みたかったからです。毎日、違う経営者と話せるのは新鮮でした。

でも、ここでも言葉は届きませんでした。社名を名乗った瞬間に、電話を切られる。会えても「決める者ではないので、資料だけ置いていってください」と言われる。やっと決める人に会えても、会社の決めたツールの枠の中でしか提案できない。

コードは、僕を裏切らなかった

架電先のリストづくりに疲れて、僕はPythonでスクレイピングを覚えました。面倒な作業を自動化したかっただけです。でも気づけば、毎日のようにPythonで何ができるかを調べていました。そこで、GPT-3の論文に出会いました。

社内の新規事業の制度に、AIのコンシェルジュを提案しました。結果は一次で落選でした。「絵空事だ」と言われました。

その半年ほどあとに、ChatGPTが出てきました。

僕はG’s ACADEMY FUKUOKAで、プログラミングを学び直しました。

コードは、思い描いたものをそのまま形にできる。エラーが出ても、人間関係のこじれとは違って、必ず原因がある。そして、作ったものが誰かの課題を実際に解いていく。

毎日、小さな「届いた」を積み重ねられる。音楽では二度と出会えなかった感覚が、ここにありました。

Cor.は、ラテン語で「心」

リクルートを辞めてからの半年は、本当に苦しかった。借りたお金はすぐに尽き、大切にしていた楽器も手放しました。人の集まる場に行っても、名刺が増えるだけでした。

それなら、話す側になろう。

2023年12月、エンジニアカフェのLTイベントで、初めて登壇しました。声は上ずり、手は震えていた。同じ月に、Cor.株式会社を立ち上げました。Cor.は、ラテン語で「心」という意味です。

それから1年、毎週どこかのLTに登壇し続けました。締め切りがあるから、毎週何かを作る。作ったものを、人前で話す。2025年3月には、東京のAI駆動開発の勉強会で、オンラインも合わせて約2000人の前で話しました。そこから、仕事の相談が届くようになりました。

「本当にそうなのか」と確かめる

AIは、僕の可能性を広げてくれました。一人でも、端から端まで作れるようになった。

でも、AIの答えを前提にしたまま進むと、同じところを何周もすることがあります。だから今は、一度立ち止まって確かめます。一次情報を読む。自分で測る。

Griftは、その考えから生まれた自社プロダクトです。経歴は盛れる。証拠は盛れない。だから点数にはせず、確かめられる事実だけを出します。判断するのは人です。

機密データを外に出さないローカルLLMも、同じところから来ています。機密データを外のAIに渡していいか分からず、止まっている現場があるからです。

まず、聞くところから

僕は、言葉が届かない苦しさを知っています。

だからCor.は、いきなり作りません。まず、どこで止まっているのかを聞きます。必要なら「まだ作らない」と言います。

「ああ、伝わった」という小さな感動を、仕事の中で、日常の中で、積み重ねていきたい。

それが、元トランペット奏者の僕が、AIの会社をやっている理由です。

参考資料

この話は、僕がnoteに書いてきた次の記事をもとにしています。

この記事の内容を、自社で進めたい方へ

取材や登壇のご依頼、記事へのご質問を、AI受付「Cloudia」でお受けしています。

この記事を応援

この記事が役に立ったら、投げ銭で応援してください。お好きな金額を選択いただけます。

Stripeで安全に決済

関連記事

記事を読む
創業

毎週LT登壇を1年続けたら人生が激変した話

崖っぷち未経験エンジニア経営者が毎週LT登壇チャレンジを通じて得た成長と学び、そして人生の変化

#LT #成長 +3