「ああ、伝わった」を日常にするために、僕は会社をつくった
元トランペット奏者で、28歳でASDと診断された代表・寺田康佑が、楽器メーカーとリクルートの営業を経て、AIの会社Cor.株式会社を立ち上げるまでの話です。言葉だけでは届かないものを、技術で届く形にしようとしている理由を書きました。
宇宙人だったのは、僕のほうでした
幼稚園では、みんなのお遊戯に混ざれませんでした。外に出されると、園庭で三輪車をぐるぐる漕いでいました。
小学校の入学式では、目の前を横切った蝶を追いかけて、そのまま体育館を出ていきました。
虫眼鏡で本当に火が起こせるのか確かめたくて、昼休みのあいだ、落ち葉の山に光を当て続けたこともあります。小さなボヤになりました。
僕の中では、どれも筋が通っていました。やりたいことがあって、いちばん速い方法で近づいただけです。でも周りから見れば、何をするか分からない子供だったと思います。
4年生のころには、遊びに誘われなくなっていました。
そこで僕は、図書館で行動心理学の本を読みあさりました。目線、しぐさ、間の取り方。人が言葉にしない気持ちを、外から読み取る方法です。6年生になるころには、クラスの委員長を任されるくらいにはなりました。
ただ、ずっと疲れていました。相手の顔色を読んで、場を壊さない言葉を選ぶ。そうやって話すと、自分の思っていることは伝わらないまま、会話が終わってしまう。
もっと自然に、気持ちが伝わる方法はないのか。子供のころから、ずっとそう思っていました。
息を呑む音が聞こえた
5歳からピアノを習っていました。中学の音楽の教師だった母の影響です。ピアノは楽しかった。でもステージの上では、いつも一人でした。
小学6年のとき、地元のジュニアオーケストラの演奏会で、トランペットのファンファーレを聞きました。
これだ、と思いました。いろんな人と音で話しながら、ひとつの音楽をつくれる。言葉だけでは伝えきれない気持ちも、きっと届く。帰ってすぐ、祖父母にせがんでトランペットを買ってもらいました。
ところが、トランペットは鳴りませんでした。中学の吹奏楽部に入って4か月たっても、音が出ない。周りには笑われました。
僕は、課題曲の楽譜を2小節ずつに区切りました。5回続けて間違えずに吹けたら、次の2小節へ。最後まで行ったら、4小節ずつに区切り直して、また最初から。夏休みのあいだ、それだけを続けました。
高校2年の冬。2000人のホールが満員になったクリスマスコンサートで、ソロを吹きました。
スポットライトで、客席は何も見えません。音を出した瞬間、客席が息を呑むのが聞こえました。
言葉はいらなかった。相手の顔色を読む必要もなかった。
あの一体感をもう一度味わいたくて、僕は音楽の道に進みました。
あの瞬間は、二度と来なかった
芸術大学のトランペット科に入って、最初の冬。教授とのささいな行き違いから、僕は学科の中で、そこにいない人のように扱われるようになりました。それは何か月も続き、そのとき広まった噂は、音楽をやめるまで僕について回りました。
僕はまた、人の顔色を読みながら生きるようになりました。演奏していても、頭の中では「今どう思われているか」を計算している。表では笑って、家に帰ると倒れ込む。ベッドから起き上がれない日が続き、精神科に通いました。
28歳のとき、ASD(自閉スペクトラム症)と診断されました。
正直、ほっとしました。ずっと感じていた自分と人との違いに、やっと名前がついたからです。
卒業後は楽器メーカーで、楽器の普及の仕事を4年ほど。演奏の仕事も続けながら、留学を考えたり、学校で教えたりもしました。
それでも、高校2年の冬のあの感覚は、戻ってきませんでした。
2020年、すべてが止まった
2020年4月、緊急事態宣言で、公演がすべてなくなりました。フリーランスの奏者だった僕の収入は、ゼロになりました。
仕事は、こんなにあっさり消えるのか。このまま音楽にしがみついていても、生き残れない。
僕はリクルートに入り、求人広告の法人営業になりました。音楽の世界しか知らない自分を、いろんな人の中に放り込みたかったからです。毎日、違う経営者と話せるのは新鮮でした。
でも、ここでも言葉は届きませんでした。社名を名乗った瞬間に、電話を切られる。会えても「決める者ではないので、資料だけ置いていってください」と言われる。やっと決める人に会えても、会社の決めたツールの枠の中でしか提案できない。
コードは、僕を裏切らなかった
架電先のリストづくりに疲れて、僕はPythonでスクレイピングを覚えました。面倒な作業を自動化したかっただけです。でも気づけば、毎日のようにPythonで何ができるかを調べていました。そこで、GPT-3の論文に出会いました。
社内の新規事業の制度に、AIのコンシェルジュを提案しました。結果は一次で落選でした。「絵空事だ」と言われました。
その半年ほどあとに、ChatGPTが出てきました。
僕はG’s ACADEMY FUKUOKAで、プログラミングを学び直しました。
コードは、思い描いたものをそのまま形にできる。エラーが出ても、人間関係のこじれとは違って、必ず原因がある。そして、作ったものが誰かの課題を実際に解いていく。
毎日、小さな「届いた」を積み重ねられる。音楽では二度と出会えなかった感覚が、ここにありました。
Cor.は、ラテン語で「心」
リクルートを辞めてからの半年は、本当に苦しかった。借りたお金はすぐに尽き、大切にしていた楽器も手放しました。人の集まる場に行っても、名刺が増えるだけでした。
それなら、話す側になろう。
2023年12月、エンジニアカフェのLTイベントで、初めて登壇しました。声は上ずり、手は震えていた。同じ月に、Cor.株式会社を立ち上げました。Cor.は、ラテン語で「心」という意味です。
それから1年、毎週どこかのLTに登壇し続けました。締め切りがあるから、毎週何かを作る。作ったものを、人前で話す。2025年3月には、東京のAI駆動開発の勉強会で、オンラインも合わせて約2000人の前で話しました。そこから、仕事の相談が届くようになりました。
「本当にそうなのか」と確かめる
AIは、僕の可能性を広げてくれました。一人でも、端から端まで作れるようになった。
でも、AIの答えを前提にしたまま進むと、同じところを何周もすることがあります。だから今は、一度立ち止まって確かめます。一次情報を読む。自分で測る。
Griftは、その考えから生まれた自社プロダクトです。経歴は盛れる。証拠は盛れない。だから点数にはせず、確かめられる事実だけを出します。判断するのは人です。
機密データを外に出さないローカルLLMも、同じところから来ています。機密データを外のAIに渡していいか分からず、止まっている現場があるからです。
まず、聞くところから
僕は、言葉が届かない苦しさを知っています。
だからCor.は、いきなり作りません。まず、どこで止まっているのかを聞きます。必要なら「まだ作らない」と言います。
「ああ、伝わった」という小さな感動を、仕事の中で、日常の中で、積み重ねていきたい。
それが、元トランペット奏者の僕が、AIの会社をやっている理由です。
参考資料
この話は、僕がnoteに書いてきた次の記事をもとにしています。
- アスペのトランペット奏者がリクルートを経てエンジニアで起業した話【Why me】 - 2024年1月1日。子供のころから起業までの振り返り。
- なぜ音楽家から起業した僕が音楽関連の事業をしないのか - 2025年10月1日。「言葉を超えたコミュニケーション」と会社の名前の由来。
- 崖っぷち未経験エンジニア経営者が「毎週LT登壇」を1年続けたら人生が激変した話 - 2025年6月7日。最初の登壇と、毎週のLTの1年。
- All you need is actuals― AIのループを止めたら、前に進み始めた - 2026年8月17日。AIの答えを、自分で確かめるようになった話。
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